人生という試合で最も重要なのは、休憩時間の得点である。
こんばんは、りょーさけです。
いっつもこの手のタイトルを付けるときは、「偉人 名言」でググってネタを探します(笑)
なんとまあ今日は自分向けなものを見つけたことか!
しかもナポレオンの言葉だそうです。いい言葉〜( ´∀`)
ということで今日はあんまり頭を使いたくないので、箇条書きに近い散文で思ったことを書こうかと思います。
思った以上に細部を見る力のない自分は、もしかしたらもしかしたら大きなところを見る力はあるのかもしれない。
でもそれがいいとも悪いとも言えない。
いいか悪いかは自分が決めることでもないし。
死ぬときにきっと一応の答えは出るのだろうけれど。
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リーデルの純米酒グラスをナメてた。
大きくて素晴らしい企業ってのもあるんだなあ。言い過ぎか。
大きい企業の商品が良かっただけか。
いや、それって企業が良いってことなのか?
どっちでもいいや。
純米酒は、深い。
その深さを汲み取る…もしくはその深さに潜っていくためには酒器と温度の探求は欠かすことができない。
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久々に小説を一本読み切った。
昔より虚構への感度が良くなった気がする。
読んでいる最中はいい事だらけなのだけれど、読み終わったあと自分が異世界に降り立った奇妙な生物であるかのような錯覚に陥る。
面白い。
紙が滅びない理由がわかる。
デジタルはまだ、不便だ。かろうじて。
ちなみに読んだのは歌野晶午の『葉桜の季節に君を想うということ』。
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息子に鯉のぼりを見せようと加茂川の河川敷に連れて行ったが、息子は一心不乱に川原の石を選別しては僕の足に向かって投げてきた。
読めない君の読めなさが本当に愛おしい。
これからの自分たちの言動でその愛おしさが潰れてしまわないように気をつけよう、と夫婦は安い赤ワインと焼き鳥を感心しながら食べる。
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スーパーの、そして酒販店の棚を見るたび純米酒、アル添酒、自然派の酒…の問題がいつも気になる。
なんの答えを出せるわけでもないのに気になってしょうがない。
鍵は多様性にある。
酒が食に寄り添ってその力を129%(税込)出すものだとすれば、食に多様性が認められる限り酒にも同じ価値が認められる。
つまり、(手法的・金銭的・思想的に)高い料理にはそれだけ高い酒が、逆のものには逆のものが合う可能性がある。
そこに純米・アル添・自然派という区分を持ち出す必要はない。
むしろそのほうが自由で、嗜好品的でものすごく良い気がした。
ただ「自然的だから良い」、「アル添でも負けてない」、「純米だからうまいんだ」と言うことにはもはやさして意味はない。
今こそ中身に目が向けられるべきであると思う。(ただし、手法に違法ないしそれに近いものが用いられている酒は論外とする)。
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安ワインに酔っての投稿なので自分でも中身に期待していなかったけれど、最後の純米アル添自然派のところに書いてある内容は、きっとそんなに悪くない。
…そんなふうに思うのは、やっぱり安い酔いが回っているからだろうか?
明日になったら、ちょっとわかる。多分。
ということで、おやすみなさい。
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