「好き」の飽和点にいる君は不安でしょう。
大学の時に親しくなった教授の言葉です。この言葉には続きがあります。
「不安でいいんです。純度の高い『好き』はそれが好きだから好き、という以上の理屈に支えられてはいません。根拠が無いのです。その不安を味わうことが、君の嗜好を味わうということです。」
細部は記憶違いで若干異なるかもしれませんが、ニュアンスはこんな感じのことを言っていたような気がします。
…。
ふなぐち菊水が体を巡ってきたようなので、今日は昔話をします。
私が大学生だった頃の話です。
私は仙台の大学に通っていました。
その大学を選んだのはそこまで無茶をしなくても入れそうだったから。田舎も嫌だけど、都会も嫌だったから。そんな感じです。
特別な思い入れがあったわけではありません。
で、入学して。思った以上に退屈な講義に飽き飽きしてしばらくして。
幸運にも徹夜で語り合えるような友人ができた頃でした。
必修科目だったドイツ語の講義で、思わぬ出会いがあった。
その先生との出会いでした。
パッとしない人だった(笑)
どう見てもただのおじいちゃんだった。
学期末のテストが終わってゆったり帰る用意をしていた時に、先生がいきなり私を指さしました。指さしってあんまり礼儀正しい行為ではないけれど、不思議とあんまり不快じゃなかったなあ。
「君はドイツビールに興味があるかな?」と、尋ねてくる。
??(; ・`ω・´)となる私。
でもまあ興味はあるので「はい。」と答える。
満足気に頷く先生の顔が懐かしい。
そんな感じで生徒をドイツビールの店や自分の研究室に誘うくせのある人でした。
笑顔が実にチャーミングだった。
けれども、時にはっとするようなことをズバッと言ってくる。なんというか、絵に描いたような大学教授という雰囲気の人でした。
ドイツビール店で私が無茶苦茶な理屈を振りかざして一丁前に語った翌日、「昨日は調子に乗ってすみませんでした。」と私が言うと「若者が目上の人間に対して生意気を言うのが世の常というものです。」と返して来ました。
すごく恥ずかしかったのですが、なんというかお見通しな感じを出されても全然不快じゃなかったな。
なんでなんでしょうね?今もわかりません。
いや、もう決してわかりません。
それから一緒に日本酒を飲んだり(出羽桜の出羽燦々誕生記念純米吟醸が特に印象的だった)、他のビールバーにいったり、ドイツ語の特訓をしたり…楽しく遊ばせてもらいましたが、出会ってから約二年後、先生は持病の悪化で逝去されました。
悲しかった。
お亡くなりになる前、よく先生と私と三人で飲みに行っていた同じ学部の女の子と一緒に先生のところへ面会に行くという話が持ち上がったのですが、途中で先生の側からストップがかかり会うことはできなかった。
今思えば、ですが。これは先生なりの配慮だったのではないかと思うのです。
先生はもともと持病を持っていたことを口にはしていた。けれど私達の前で自信が病である様子を見せることは決してなかった。
持病の薬を口に放り投げて、「これでいいですね。」とフガフガ言いながら日本酒で流し込むような人だった。(愛知県の「奥」というお酒と、秋田の「まんさくの花」というお酒のどちらかだった気がする)
そんな風におどけた(いや、行き過ぎた?)態度でひょうひょうと振る舞っていた自分の、いわば変わり果てた姿を生徒が見たらどう受け止めるか(私はさておき、もうひとりの女の子は非常に感受性が豊かで、豊かすぎていた)。
考えすぎでしょうか?
どうやっても、もう確かめる術はないのですが(笑)
笑うしかないのです。
先生が入院するかしないか位の時期に、「先生、借りていた辞書を返したいのですがいつ行けばいいですか?」と3回くらいメールをしたのですが返ってこなかったのも配慮だったのかもしれない。厚さ10センチはあろうかというドイツ語の大辞典でした。高価すぎて買えないと言った私に先生が貸してくれたものだった。
出会ってからほんの少しの季節をたまに一緒に過ごしただけでしたが、非常に印象に残る出来事だらけの先生でした。
あの時大学のトイレで吐くほど夢中になって飲んだ日本酒。その日本酒の世界のど真ん中に自分がいるのが不思議でなりません。
先生と接したからそうなった…とまでは言えないけれど、今でも「これだ!」と思った酒を夢中になって飲んでいるときはあの時の出羽桜を思い出します。
なんでこんなこと書いたんだろ。
分からんけれど、そんな事があって私は今酒蔵にいます。
とても幸運で、ありがたいことです。
自らの不安をそっとなでながら、大好きな酒を飲んで眠りたいと思います。
明日は長野!上田行くぞ!!
おやすみなさい。
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