人は、他人と違っているのと同じくらい、自分自身とも違っている時がある。

銘酒withポテサラ(妻作)で登場です。

どうもりょーさけです。こんばんは。

映画タイトルもじりから始まった名言タイトルシリーズですが、今日はフランスのラ・ロシュフコーという方の言葉を借りました。

この人の言葉はほんとすごい。岩波文庫に『ラ・ロシュフコー箴言集』という本があるのですが、その本は自己及び他人観察の名人芸で溢れています。


途中読むのが辛くなるくらい…(笑)




で、今日もまたタイトルと内容はうっすらつながっております…。

自分と他人が違うのは当たり前ですね。

でも、自分はいつも一緒だとみな素朴に信じている。

んなことなくね?っていうロシュフコーさんからのご指摘です。


んー、同一性って信じたいですよね。

なんとなく「この人一貫してるなあ。」って言われてみたい言葉だもんな。

ん、ある程度自分が一貫していると信じていなかったら安定して仕事やスポーツなんかができるわけないもんなあ…。




でも、そうですかね?ほんとに。

昨日理屈をつけて自分を納得させて決めたことを今日さらっと破って、例えば夜中に暴飲暴食しちゃう人とかっていません?しかも、それなりにもっともらしい理由をつけて今度は夜中の暴飲暴食を肯定して自信満々で、意気揚々と食べたりしてない?

例なんて、なんでもいいんですけどね。

努力の形として「毎日コツコツやる!」と「たまにだけどガッツリやる!」の間で揺れ動く受験生とかって多いだろうし、社会人だったら「定時できて定時で帰るのが人間的にまっとうだろ!」と「いやでもたまには空気読んで自然に残業早出すんのが社会人としての責任だろ!」とかかな。

対立するのって。


ある時立ち止まり、考え、その時その時で都合よく理由をつけているだけでなんにも「芯が通ってない」「一貫していない」自分に絶望する…って。

こういうのありません?(笑)



僕もすごーくよくありますしありましたが、最近はこんなん自覚しやすいし手帳とかに書いて確認する癖をつけたら割と気をつけられるしたいしたことないかなーーー…なんて思ってます。



で、はい。ここからが本題です。

長い余談でしたが…。



自分の知覚の異常に自分で気がつくことができるのか、ってのが問題なんです。

酒をのむ時に(笑)

上の話はあんまり関係ないっていう。



難しいんだよなあ。

いや、こんなことをなんで思ったかって最近花粉症でですね…。

鼻づまりひどくって(;´Д`)

分からんのですよ、味と香りが。

で、それだけならそこで終わりなんですけど、


今日その鼻づまりを解消するために点鼻薬を使ったんです。

そしたら鼻の通りは良くなったけど…酒の香りがメントールに消されてわかんない(笑)



まーここで紹介した例は極端かもしれませんが、とかく人の味覚嗅覚というのは翻弄されやすい!些細な条件の変化で感じ方が変わってしまう!


だからですね、いつもどおり酒を飲んで「ん?美味しくない…。」って思ったときはまず自分の味覚嗅覚を疑ってかかりたい!

それまで積み重ねてきたつもりの自分の酒判別能力を疑うのは自己愛の強い自分的には難しいけれどもそうしたい!

酒の品質の変化を疑う前に、まず自分から。



そういう姿勢を保ちながら今日も明日も一貫した判断をできればしたいものです…。




はい、ちょっとごっちゃになったけど今日のお話はこれまで。

雪の茅舎、やはり銘酒です。

乾杯。

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