擦り切れるほどの好きを掴む
こんばんは、りょーさけです。
相変わらずライブ配信の翌日は摩耗疲弊疲労困憊しております(泣)
そんな一日の始まりに箕輪さんという人のコメントを見て、この本を買ってしまった。
なんでしょう。
まだ本の入り口に立っただけなんだけれど、とても深くうなずける本です。
読書を通して人間が得るものについての考察を著者自分自身の人生を振り返りながら行っていく本なのですが、それはそれはまあ言葉に含蓄がある。
で、その中に「読書に本気で熱中したことのある人は左翼的な思想(世の中で一般的になんとなく浸透している考え方に疑問を持ち、打破しようとする思想)に一度は傾倒する」というニュアンスの一節がありました。
これが…最近読んだ本の中で一番刺さりました。
私は酒業界に入る前実はパン屋で、それは別に好きでもなんでもなくてただ就活で受かったから行っただけなんですが、はい。
その前は毎日哲学の本を読んでました。
来る日も来る日も読んでいた。
極端な時で大学の講義を無理くり3日にまとめて、週4日フリーの日をつくって街へ行って本を読んでいました。
で、毎日こんな世の中はおかしいと思い、哲学に生きなければ人生に価値はないと本当に思っていました。
しかしその後人生の激流とでも言うべき環境の変化に晒され、この頃の自分は意図的に自分の中から放り出して生きてきました。
「哲学を本気でやらなければ人生じゃない!」と一度でも思ってしまった自分を後悔したりもしました。
しかし。です。
この本の著者によれば、「…左翼的な思想に傾倒した後、圧倒的な力を持った現実と対峙してボロボロになる」(これも私がまとめた言葉で原文ママではないですが)そうです。
で、「ボロボロになったあと自分にできることをイチからやり始める」訳ですが、その時に最初の「こんな世の中おかしい!!」と思ったときの熱狂があるとないとでは行動の背景にある人間的な深さがまるで違うそうな。
そしてその背景はいつしか行動にも現れて、実際に現実と戦う力になる、と…。
つまり、私が捨てた私の部分は全く捨てる必要のないもので、むしろ大事に育むべきものだったというそういうことです。
や、無理に「哲学忘れよう」とか思う必要なかったのかもな。あくまでこの本の著者(見城徹さん)の考えですけどね。
まーこうなったらいつか生きるその時を夢見てまた哲学も全力でガリガリかじっていこうかなーという感じです。
酒だけじゃなく、哲学を通して言葉を磨いていかないとね。うん。
磨くのは辛いので磨かない方が多分楽なんだけど、でも磨いていないといつか自分が自分自身に対して「お前つまらんな」と思ってしまいそうなのでやっぱり磨こうと思います。
社会のためでも、会社のためでもなく。
自分のためにね。
ねます!寝酒カンパーイ!(๑•̀ㅁ•́๑)✧
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