そこは届かない天井か、それとも立っている大地か
おはようございます、りょーさけです。
画像は昨日のインスタストーリーズのものです。
(コノスルの)「ピノ・ノワールは濃すぎなくていいですね〜( ´∀`)」とか言ってますが、味が濃すぎなかったためのみすぎて眠くなってブログがかけなかったようですね。アホですね。
今日は2本書くかな。
ってことで一本目は昨日単調な作業をしながら考えたことについてです。
タイトルのお話。
心の持ちようについてですかね。
歳を重ねるごとに思うのですが、根っこから明るい人と暗い人の間には凄まじいほどの断絶がある気がします。
以前も書いた「刑務所の窓から星を見る人と泥を見る人」の話にも似ているかなあ。
昨日私は酒搾り機の解体という酒蔵において一位二位を争う単調な作業を一人でやっていてですね。
どうにもこうにもそれが楽しめない!
解体作業にリズムをつけたり、一枚搾り機の布を剥がすごとに今まで飲んだ酒を一本思い出したりしたのですが、どうにもあかん(;´∀`)
で、「これを楽しめる人ってどういう人なのかなあ…」って考えた訳です。
それはきっとこういう人です。
酒を飲んでいるときは、その酒があることを尊んで楽しめる。
たとえその酒がグラスからこぼれても、その酒を飲めたことに満足できる。
たとえそのグラスが割れたとしても、そのグラスとともに味わった酒のことを思い出して満足できる。
たとえ酒が飲めなくなっても…(以下どこまでも続く)。
みたいなね。うん。
これが僕になると、
「酒を飲んでいるとき、その素晴らしい酒がなくなっていくことに落ち込み」、
「酒がこぼれたらこぼしてしまった自分の手を恨み」、
「グラスが割れたら叫んで絶望し」、
「以下どこまでも状況を呪う」…というね。ハイ。
これですよ、この違い。
私からすると根っこから明るい人の考え方ってのはまさにタイトルの「届かない天井」なわけです。
しかし、そういう明るい人はその天井の上にいつもすでに立っているんです、たぶん。
そういう人は百人に一人いるかいないかくらいだと思うんですが、会うたびに「敵わねぇ…(;´∀`)」って思ってしまいます(笑)
時折直射日光を思いっきり浴びたくなった時は、とてもありがたい存在なのですが…ナハは( ´∀`)
って感じです!
少しでも明るい方々を見習って届かない天井でも手を伸ばしたいなと思っておりやす!(`・ω・´)ゞ
ではではいってきまーーーす!
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