歴史を愛する心は自分を愛する心からしか生まれない
どうもこんばんは、りょーさけです。
いつか歴史学の講義でちらっと聞いてふーんと思った言葉です。
学のない状態で学がありそうなことをしゃべるのは実に疲れるので、今日は半端に専門的なことは話しません。
完全に個人的なことを話しましょう。
今日の写真に写っているのは私の学生時代のアテです。
その名も卵豆腐。
豆腐を皿にあけて、その上に溶いた卵をあける。鰹節と葱と生姜をかけて、めんつゆを適量かけ、レンジで「あたため」を2回。
するとこんな感じのものが出来上がります。
自分ひとりのときも作っていたし、友人と飲むときも得意げになって作っていた気がします。お恥ずかしくも懐かしく、愛おしい。不思議な気分になります。
雑で適当だけれど、旨いんですこれが。単純に旨い。
そしてそつなく日本酒と合う。まー肉以外の旨味はそれなりに入ってますからまあまあ万能です。
こういうのをたまに食べてみて、クソみたいだと思ってた自分のある時期に光があたってちょっと嬉しくなったりするわけです。
あーあいつらとこれ笑って食ってたな。
あの日の日本酒はスベったなー、とか思いつつ。
そこに酔いが回るとその時の自分を取り巻く状況ってそんなに悪くなかったな、自分が体験していたことも悪くないなって思うんです。
更にまあぐるぐるしてくると、「自分ってなんでそういう状況になったんだっけ。」とか時代をさらにさかのぼっていって更に前の時代に思いを馳せたりするわけですね。
で、冒頭の言葉です。
歴史を愛する心は自分を愛する心からしか生まれない…。
まあ、そういうことなのかなーって思います。
自分を愛するなんて幼稚なことのように思えますが、実はそれが自分を取り巻く周りの、他人や社会への関心への入口になっているとは驚きです。
いくらマリアージュについて勉強しても、僕はこの貧乏料理がきっと好きなんだろうなって思います。
そう、ここに戻ってくる。
戻ってきて、安心して、また別のものを求める。
振り子のように揺れながら、それでも最終的には今と違うものを求める姿勢を忘れない自分でありたい。
そんな風に思います。
さて、明日も休日半日出勤です。
いってきやす( ´∀`)
おやすみなさーい。
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