もし世界の終りが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう。
こんばんは、りょーさけです。
冒頭の言葉は寺山修司が『ポケットに名言を』という書籍の中で紹介したもののようです。寺山はルーマニアの革命家「ゲオルグ・ゲオルギウ」という人物の言葉として紹介したそうですが、どうも作者不詳の可能性もあるそうな。
とまあ、作者問題はおいておいても様々な解釈が可能な言葉ですね、これ。
破滅的な状況でも、建設的なことができるか。
未来がなくても、未来にかけることができるか。
うーん、どこか非現実的で大げさだ!
…とか言いつつこれって結構毎日の我々の状況じゃね?とか思ったりするわけですね。
だっていつ死ぬか分からんし。誰もが。
自覚してるのかしてないのかは別として、みんな各々の明日があるのか(もっと言えば一瞬先があるのか)分からないけれど自分のためになりそうなこととか、他人のためになりそうなこととかをやってるんです、多分。
よく考えると結構すごいなあ、なんて思って立ち止まったり…しますね。
普通に生きてるつもりでも結構皆さんロックやのお。
で、はい。
ここまでが適当な前段なんですが(笑)
昨日「ああ、自分は知らずに種を撒いていたんだなあ」と思った出来事があったのでそれについて書きます。
昨日の深夜、冬の寒さで凍っていたツイッターに久々にアクセスしまして。
通知の多さにびっくりしたんですけど、その中になぜかダイレクトメッセージがある。
そんなに親しい人いたっけかな?とか思いつつ中身を見てみると…。
去年の九月酒の試験の勉強をするために東京に行った際、最後に立ち寄って一晩中のんで飲み明かしたお店の店主さんから「最近更新してないけど元気ですか?酒造り大変ですよね。」という感じのメッセージが…!
正直びっくり…の前に思わず涙が流れたという…。
だって言ったのは1回きりだし、あの時結構無茶言って持ち金以上のお酒を出してもらった気がするし…そもそも僕は不勉強な割に口が達者で生意気ですし本当にそのせいでなかなか年上の方には好かれない…はずなんですが。
でももっとよく振り返るとあの時短い時間の中で自分たちのバックグラウンドについて結構熱く語ったような気がするし、飲んだ酒について真剣に話をした気がするし…。
久しぶりに泥酔状態で中野新橋から新宿まで歩いた夜明けの風は心地よかった気がするし…。
あの時は「どうせ試験もうからないし、自分は職場を変えてばっかりでなんにもスキル身につけてないし!」とか思いながら飲んでて、建設的なことをしている気持ちはなかった。
まあ、ただ飲んでただけですけど内心結構ヤケでした。
でもでも今思い返すと、そんな明日も見えない状況で知らず知らずに種を撒いていたのかなあ…って思うのです。
この一件、メッセージをくれた飲み屋の店主さんにとっては大したことがないふとした気まぐれだったのかもしれません。
でも、こんなことで僕は今年もまたなんとかしてあの店に行っていつもの調子で飲まねばならないなと思うわけです。
いや、ねばならないなんて義務感溢れる言葉で言いたくないですね。
飲み「たく」なるんです。
自分は実は思ったよりすげー店に行ったんだな。
すげー人と接してたんだな。って思うんです。
そう、自分のやけくその行動に、店主さんの返信に、僕は林檎の種を見るわけです。
こういう事があるから今度からはやけくそなときでも困難なときでも、
ちょっと未来から目線の、
ちょっと虚構のスタンスをこしらえて、
「あーこれもしかしたら2年後くらいに芽が出る種でも撒いてるのかも?」とか、柄にもなくクソポジティブに思ってみたくなるんですよ。
思ってみたらちょっとつらい今が楽しくなるかもしれないじゃないですか。
ってことだから!
こんなブログを仕事でヘトヘトな深夜に書いてるわけですね…。
ははは…これはいつか芽が出る種なんでしょうかね…。
この後水がかかるか。陽が当たるか、ってとこなんでしょうが。
何気なく信じながらまだ見ぬ明日を迎えにベッドへ行きます…。
トップ画も、なんかそういう感じで「あ、こんないい体験してたのか」っていう…その時は気が付かなかった種です。
新政の新年搾りに七草粥とか豪華すぎ。その価値は…わからずに飲み食いしてたなあこの頃は。
過去の酒関係の写真は偉大かつ恐ろしくなります(;´∀`)
って感じで今日はここまで!
おやすみなさーーーい。
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