震災とは
震災とは、ついさっきまで目の前で笑顔を見ていたじーちゃんばーちゃんが真顔になることである。
震災とは、女の子の歌声が悲鳴に変わることである。
震災とは、日頃からかっていた後輩のトレーナーを藁にもすがる思いで握って叫ぶことである。
震災とは、団体行動から外れるものに異常な怒りを向けることである。
震災とは、倒れた冷蔵庫からモダン仙禽を取り出して今生の一杯かと憂うことである。
震災とは、色とりどりの星空が見えてはいけないところでそれが見えるということである。
震災とは、暗闇で怯えながらかろうじて飢えを満たし談笑することである。
震災とは、動けば動くほどに深刻さを知るということである。
震災とは、素を写す鏡である。
七年前の今日、私は所属している東北大学混声合唱団の老人ホームコンサートに向かい、そのコンサートの閉会式の最中に被災した。
司会者がお年寄りに向かって「皆さん、今日の演奏会はいかがだったでしょうか。」と問いかけたときだったように思う。
ソプラノの断末魔が怖いくらい印象的でした。
友人たちと恐ろしく静かな仙台の街を歩いて帰りました。
友人宅に向かう道の途中で自宅に寄り、冷蔵庫にあったぬるい日本酒をらっぱ飲みしました。
澄んでいてキレイだったのか。味がしなかったのか。
星が恐ろしく綺麗でした。
友人たちと手探りで笑いを取り合い熱のないこたつで寝ました。
翌日は食料を求めて自転車を漕ぎました。
市役所に行って火のついた家が津波に流される写真を見て、事の重大さを知りました。
その後原発の騒ぎがありました。
恥じ入るほどの狼狽ぶりで山形経由で新潟に帰ってきました。
後のことはあまり覚えていないし、このレベルでもあまり思い出したくありません。
誤解を恐れずはっきり言います。
大小問わず語り続けるべきです。
あの、祭りで酒飲んでる場合じゃないです。
賛否両論は結構です。
それこそが現代においては人々の関心の高さと言ってもいい。
はい。
献杯。
素晴らしき自然。
恐ろしい、自然に。
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