向き合った瞬間の爆発と触発/世界の一握りだけが知る右手の話
『蜜蜂と遠雷』、恩田陸さんの本。これね、うん、素晴らしかった!!!!
読み終えて、息も絶え絶え、りょーさけ、です٩(๑òωó๑)۶
いい意味で絶え絶え٩(๑òωó๑)۶
ガストにいるんだけど大きく息を吸うと若干タバコが…Oh...!
若干…いや全体的に本の内容に影響されての記事になってます(`・ω・´)ゞ
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(一回記事が消えました(泣))
自分の才能を自覚して音楽と向き合う若者たちの話でした。
驚くべき情熱とドラマを背負った人間たちの饗宴…というところでしょうか。
全体がとてもテンポよく進み、小説自体も一つの音楽のようです。
演奏シーンの連続改行と「」なしセリフの多様であんなにスラスラスラスラ進行していくものなんですね。
多分映画化するのは難しいから、気になった人は本を買うとよいよ!
で。
読んでいて、自分の今の生活と少しだけ重なる部分があったので今日はそれについて話します。
ワタクシりょーさけ。一ヶ月前くらいから、「あっ、やらなきゃ」と急に思い始めて自分と向き合い始めました。
持てるもので勝負しようと思い、ライブ配信をしてます。
興味を持ったものには素直に興味を持とうと思い、前までよくわからない意地で手に取らなかった本を読み始めました。
惰性になりかけてたインスタも、ちょいちょい工夫をこらしてます。
向き合い始めてすぐは「あっだめだこれ」って思うんですね。
でもちょっと粘ると、「そうか、下手さを認めりゃいいのか」と気づく。
で、下手なのが分かり、なんとかしようともがくわけです。
そのもがきって多分やったことがある人しか分からない独特のもがきなのかな。
不思議な事で、過去十年間ずーっと「俺を見ろ!見てくれ!見てくださいいいああああああああああ٩(๑òωó๑)۶」ってやってたそのどの時より今周りの人が自分を見て声をかけてくれてるんですよね。(あー恥ずかしい)
みんな自意識過剰のひけらかしはウザいけど、自分の力を自覚した上での決死の開き直りにはなにか思うところがあるのかな?
や、何にせよこれすっごくありがたくてですね。はい。
同時に皆すげーなーって思うんですよね。
そっかあ皆とっくにそういう風に生きてたんだなあって。
かっこつけてたせいで自分は遅れたけど、でもそういう自分にも声かけてくれんのかあってね。
ありがたい。
なんでそうなるのか、詳しいメカニズムはよくわからないんですがね。うん。
本気で面白くなろうとしてる、現状を面白くしようとしてる人たち同士って嗅覚でわかるんだね!
多分そうなんだよ(適当)。
だから本気で面白くなりたい!って思ってやればいいんですよ。
「面白くなりたいと思うなんてのは平凡だ」って思ってたアホですが、こっからはもう地に足つけて面白くなろうと思います。
皮肉は世界を転がった気にさせるけど、実のところ世界を変えるのは真正面の本気です。
学生の時これを肌で感じるまで飲めばよかったね!読めばよかったね!書けば、歌えばよかったね!
やーやーやーそんなこと言ってる暇はない。
十年損したけど多分こっから十年がメッチャクチャ面白いはずである( ・`ω・´)
酒は勉強する、していく、飲む。
本は読む、好きなものを。意地を張らずに。
文は書く。そう、物書きに本当になりたいから。
歌も練習します。それなりに下地あるんで。
ここから始まるんだわ本格的に。
遅れたしだいぶ迷惑かけたから若干後悔しなくもないけど、でもこの回り道が自分だったのだよ!( ´∀`)hahaha
胸はって転がってくよー!
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音楽(とそれにまつわる物語)に触れたときに思い出す右手の話をちょっとだけ。
大学一年の冬に見たその右手があまりに眩しくて、僕は今でも音楽と感動について考えるときそれを思い出します。
合唱団の演奏会で学生指揮者の先輩がフィナーレ近くの演奏で、指揮の最中に大きく右手を振り上げました。
雄々しい、ってのはあのことで。
かっこいい、ってのもあのことで。
おそらく今後もあれに勝る握りこぶしを僕は見ることがない。
どのジャンルのどのシーンも敵わない。
あの瞬間は演奏者であり、聴衆であり、たった一つの芸術のそばにいて、音楽と共にあったと言えます。
僕は先日のブログでも書いた通りあの後すぐに合唱的にグレましたが(笑)
今こそあの右手のようにまっすぐ前へ上へ伸びていける気がしてます。
つーことであすの配信の用意をしよう…。
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はい。
『蜜蜂と遠雷』が名作である、というブログでした!またね!!!
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